“ 一日一日はなが~いけど、一年はあっという間だなぁ・・・
そうなったら西山クン、アンタもトシだよ もう下り坂 ”
その昔、ある人生の大先輩からいただいた言葉です。
何言っているのこのおじさん、と思っていましたが・・・
その通り!
めくるめく一日一日はそれなりに重たいですが、もう12月が来てしまいました。
いろいろあったけどあっとゆう間じゃん・・・
ワタクシもオッサン化にターボがかかったのでしょうか?
うーん・・・
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さて、玉島第一病院なのですが、来年11月に新築移転いたします。
病院名を“プライムホスピタル玉島”に変更します。
な~んでこんなカタカナネームに変更するの?と思われるかもしれませんが・・・
簡単に言いますと、イメチェンです。
“イメージチェンジあるある”を2つとりあげたいと思います。
○ 広島東洋カープの “赤ヘル” : スパルタ外人監督の革命
いまや広島東洋カープのトレードマークの“赤ヘル”ですが、以前は地味な紺色でした。
1975年に外国人が赤色に変更した、という事をご存じでしょうか?
ジョー・ルーツ監督です。
当初選手の間では、赤ヘルは大ヒンシュクだったそうです。
当時の衣笠祥雄氏いわく・・・
“俺は28歳だよ。赤帽なんて小学校の運動会じゃないんだから!”
まだ当時は赤色は女の子や子供の色の認識だったんですね!
ちなみにこのジョー・ルーツ監督、アツ過ぎて4月で辞職(ですので公式戦一か月で辞職)してしまいました。
赤色のトレードマークとともに、選手に“闘争心”と“勝負への執念”を注ぎ込みました。
“闘魂注入”ですね。
3年連続最下位だった広島東洋カープですが、1975年赤年ヘル元年に奇跡が起こりました。
ルーツ監督の後任古葉監督率いる新生赤ヘルカープが、なんと奇跡のリーグ優勝を遂げたのです。
以降“カープ”=“赤”が球団カラーとして引き継がれていきます。
私的ポイントは、当初は違和感があったが、後日認知され定着した、ということです。
当時プロ野球に赤色を持ち込むことはかなりアヴァンギャルドな出来事でありました。
その初期の微妙なイメージを、一気にチームカラーに変革した経緯は見事だと思います。
赤=闘争心=勝利=優勝=チームカラー・・・と、“リンク”したのです。
最近カープの親会社マツダまでイメージカラー赤ですもんね。
マツダ=ソウルレッド・・・世界に誇る最高の赤ですね!
振り返ってみても、ジョー・ルーツ監督の功績はスゴイと思います。
ちなみに、当初は違和感があったが、後日やっぱり認知されず終わった、というケースもございます。
懐かしのダイエーのユニフォームです。
う~んなんか、空振り三振です。
しかし濃い~メンツですね・・・
イメージがリンクしないまま終わっちゃった悲しい事例であります。
○ ブランド日本酒 “獺祭” :新社長の英断
山口県旭酒造さんからから世界に飛び出したブランド日本酒の“獺祭(だっさい)”です。
このブランド酒ですが、以前は“旭富士”という地味なネーミングだったそうです。
いまの社長さんが“こんな地味なネーミングではイカン!”ということで、旭富士から獺祭に種名を変更されました。
獺祭とはカワウソの祭り、という意味だそうですが・・・
まずはひじょうに読みにくいですね。
“だっさい”→“ダサイ”と思われる心配もあったようです。
当然、当初会社では相当反対意見が出たそうです。
ここでポイントなのですが・・・
“ダサい” と勘違いされるくらいの方が、インパクトがあってよい!
むしろ“ダサい” にひっかけて覚えてもらえるなら、ありがたい!
・・・と社長さんが考えたところです。
もちろん獺祭の成功は、名称変更だけではありません。
お酒自体のクオリティも飛躍的に上昇しております。
しかし、おいしいだけの日本酒なら、山ほどあります。
“旭富士”のままだったら、ここまで注目されたでしょうか?
思い切ったネーミング変更が功を奏した一例ですね。
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玉島第一病院 → プライムホスピタル玉島 へ・・・
“やっぱ名前変えてイメチェンしてよかったね!”とならないといけないですね~
今年一年お疲れ様でした!
それではまた来年よろしくお願いいたします。