先日、某病院の院長先生と話をした。
その病院は常勤医師30名余で、私からすれば見上げるようなメガホスピタルである。
その院長先生が悩んでおられた。
“人が足りない マンパワー不足なんです 先生のところはどうですか?”
その病院は常勤医師30名余で、私からすれば見上げるようなメガホスピタルである。
その院長先生が悩んでおられた。
“人が足りない マンパワー不足なんです 先生のところはどうですか?”
思わず輪島のゴールデンアームボンバーをかまして・・・しまうことは無かったが、昨年もっと大きな病院長の先生と話したことを思い出した。
その病院はヒントを出すと完全にネタバレするような超巨大病院である。
(もうバレたかもしれない)
“医者が400人以上いても、必要なところには、もっと人が必要なんですよ”とのこと。
(もうバレたかもしれない)
“医者が400人以上いても、必要なところには、もっと人が必要なんですよ”とのこと。
…これ以上、まだ人が必要なの?
“先生のところはチームワークがよさそうで、うらやましいですネ…”
私は話を聞きながら、なぜかスーパーマリオのミュージックが頭の中をよぎった。
下図をご参照いただきたい。
1985年作の初代スーパーマリオと、2009年ニンテンドーWiiのスーパーマリオのゲーム容量の比較である。
初代は40キロバイト、Wii版は4ギガバイトである。
つまり初代スーパーマリオと、Wiiのスーパーマリオは、そのスペック差はなんと10万倍である。
では、初代よりWiiのスーパーマリオが10万倍おもしろいのか?
というと、失礼だがそんなことは全然ない。
むしろ、あのペラペラの初代マリオのキャラクターやミュージックを超えるものが、いまだに生まれていないのではないだろうか。
簡単に言うと、過去を振り返ると40キロバイトでもめちゃくちゃ面白いゲームが、作れてしまっていたのである。
しかし“作れてしまっていた”という事実は、現在のWiiのマリオができるまで、その面白さを比較・立証できなかったのである。
ここに、我々のジレンマが生じているのではないだろうか。
マンパワー不足と悩んでいる部署や経営者は多い。
ハッキリ言えば、ほぼ全部の病院関係者は、いろいろな理由をつけて人がいない、人がいないとぼやいている。
えらそうな事は言えず、私もその一人である。
しかし、仮に人が充足したとして、スバラシイ病院になるかどうかは、全く未知数なのである。
であるにもかかわらず、人が充足しスペックが充足していくという進化の過程がなければ、“やっぱり今のほうがイイ病院だ”とか、“いやいや、人がいなかったあの頃のほうがチームワークがよくってイイ病院だったかも”と過去を振り返り比較することがそもそも出来ないのである。
人員が2倍になれば、2倍イイ病院にならないといけないはずだが、2倍どころかもっとダメ病院になっている可能性もある。しかしながらその事実は、2倍に人員が増えてみないと、わからないのである。
終わらないジレンマである。
スーパーマリオも、その進化の中で若干クソゲーの香りがする時期があった。
バランスが悪かったり、マンネリ化の波を受けた時期もあった。
おそらく某巨大病院の院長先生は、“スペックはアップしたがなんかちょっと違う やばい…”と感じておられるのではないだろうか。
私は、仮にスペックがアップしたとして、どのような運営の形を作っていくか“妄想”しておくことが大事だと思う。
スーパーファミコンやWiiになったら、逆に初代のスーマリは作れなくなる。
べつの面白さを構築する、つまりスペックに応じて新しい進化を模索しなければいけないのである。
あのツッコミどころ満載の、ジャガー横田のような初代ピーチ姫のインパクトに勝てるものを…
いまさらあのピーチ姫には戻れないが、結局初代ピーチ姫がいちばん印象的だったよね!と言われないように…