- ココロの澱(おり)・・・
澱とはよどみ、とも読む。
伊集院静作の”いねむり先生”では、この澱を“フンコロガシのフン”と表現している。
フンコロガシのフン
ボクの固まり・・・曖昧なシロモノ・・・
フンの中身すべてがわからないわけではなかった・・・
-例えば
生家の裏手に廃工場があってその廃工場にはちいさな庭があって・・・
そこに涸れた古井戸があった
子供同志でいる時は度胸試しに覗くと言っても顔を突っ込んだ瞬間は恐怖で目を閉じてしまっていた
それでも覗きたいという衝動にかられ 夕暮れに一人で廃工場の中に入り古井戸の縁から顔を突っ込んで思いっきり目を見開く
そこで見たものは何であれ聞こえてきたものが何であれ
決して井戸に引き込まれないところから身体の重心を持ち上げない
その感覚を フンの中に詰めてきた・・・
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昨年、岡山県ご出身の、岡本悍久 (おかもと かんきゅう)先生のアート展が、玉島で開催されお邪魔した。
最近”白”にこだわっておられるとのことで、多くは白を基調としたアート作品だった。
”西山くん、白は難しいのよ だからやりがいもある”と仰っておられた。
岡本悍久先生は、白を基調とした中での”心の澱”を、表現しいのではないだろうか。
勝手な妄想ではあるが。
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私はこのココロの澱を、おそらく四六時中眺めている。
あるいはどこかよそに置きながらも、意識しながら生きている。
生来、自閉的である。
暗~い心の澱は、カンタンである。
真っ白なよどみを、表現していければ、と私も思う。
オフホワイト、じゃないよ。