2024年3月23日、玉島道越(みちごえ)に、“シニアフィットネス フォルテ道越” 開所式を執り行いました。
介護保険適応のデイサービスですが、ロコモフレイルリスクになりかかっている、比較的お元気な高齢者を対象としています。
今回の施設は、地元の名士若狭靖子さまに、土地を寄進いただきました。
道越に、地域の方が集まれる場所を検討してほしい、という依頼をいただき、今回の施設プランとなりました。
空き地のときと新築の比較写真です。
竹藪と丘が見えるところに、どんな建物が映えるかな?・・・
と考え、”ロッヂ風の建物が、いいかも!”と、妄想しました。
結果、バッチリ!ハマりました!これは大正解!!
緊急時の地域の方の避難場所としても使用頂く予定ですが、雨風にも強そうです。
名前ですが、フォルテとは、楽譜のフォルテです。
西山剛史が海外で絵を書いているときに、“つよし→つよい”から、外国人の方から“Your name is forte!”と言われたそうです。
父のオマージュも込めて、名前にいれました(まだ生きてますが)。
デイサービスでパワーをつけてほしい願いもあり、良いネーミングだと思います。
はじめて建物内を拝見しましたが、ハイセンス!
ロッヂ風の木組みと大きな窓。丘から南北の山脈も見えます。
音楽と食事、すばらしかったです!
ご協力いただいたスタッフのみなさん、ありがとうございました!
当日橋本がく議員、なんば朋裕議員、そして地元の名士の方々にご参列いただきました。
ありがとうございました!
2階のトレーニングルーム、びっくりです!
ガチンコのジムレベル・・・
病院で購入できなかった、エアベッドも、ありました。
玉島道越の歴史をアーカイブ形式で、2階パネルで提示しました。
ご興味有る方は、つづいて提示いたしますので、御覧ください。
当日ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!
頑張っていきましょう!
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道越の由来
○ 道越の由来 干潮で陸地 満潮で海となる入江 “みちごえ“
要害山と七島の内海との間の入江は浅く、干潮時は土地が露出し、道として使用されていたようです。
干潮時は道があり、満潮時は道を超え海水が侵入し水没することから、水が道を超える“道越 みちごえ”、という地名がついた、と言われています。
○ 七島の内海
玉島道越周辺は、江戸中期ごろまで東側に玉島港に通ずる内海を望む丘でした。内海は現在の玉島市民交流センター付近に小さな島があり、“七島(ななしま)”と呼ばれていました。
現在もバス停でその地名が残っています。
郷土の歴史探訪 玉島図書館講演会資料集 渡辺義明著 より
○ 要害山砦
道越西側には“要害山(ようがいざん)”とよばれる小高い丘があります。ここはかつて東側に内海を望む半島状に突き出た丘陵であり、“甕海山(おうかいざん)”と呼ばれていたそうです。戦国時代ごろから七島の内海の監視や敵の侵入に対する陣地・要塞として機能し、“要害山(ようがいさん)”と名称を変えています。
鴨川城主細川元通は1582年(天正10年)に要害山に砦を建立し、1589年(天正17年)に元通は要害山に移り住みました。
要害山砦は鴨山城の出城として機能していました。淡路城主の三好実休が備中侵攻時に内海から舟をつなぎ道越要害山に立て籠った際に、細川元通がこれを防戦したという言い伝えがあります。
1600年(慶長5年) 関ケ原の戦い以降、毛利家の防長移封に伴い細川家も西に移住することとなり、要害山はその役目を終えたと言われています。
このたび当方でご縁を頂いた道越の丘は、要害山西に位置する丘陵です。
まさに七島の内海を一望できる重要な拠点地であったのでしょう。