“いやー西山君、ネットって怖くない?こないだえらい目にあってさぁ・・・”
先日、近隣の病院の理事長さんに言われました。
世間様の評価、というものはいつの時代も気になるものです。
世の中の評価といえば、広いコミュニティでは世論、狭いコミュニティではうわさ、になりますね。
かつてこれらの主導権といえば・・・
世論=マスコミでした。
うわさ=近所の奥様方だったでしょうか。
ところが昨今、世論・うわさの主導権は、インターネットに完全に移行しました。
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ネットにより今までと何が変わったか、といいますと・・・
① どんな小さなコミュニティの事象においても、瞬間的に“全世界”から注目され、評価される
(同時に全世界に情報共有が可能)
② 興味がある者同士“交流”出来るようになり、情報の練度がアップする
(情報が進化・拡大する)
③ ネット上で情報が拡大すると、加速度的状態になる
(いわゆる“炎上”)
④ よほどの権力が無い限り、ネットでの情報交流はコントロール不能である
(コミュニティでのコントロールは効かない)
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いまや世論・うわさの主役であるネットでの評価ですが、当然ネットがすべて、ではありません。
世論・うわさの主役が、マスコミだろうと近所の若奥様だろうとネットだろうと、多くの“そうでない”方々もおられます。
なんにもメッセージを発しない一群、いわゆる“サイレント・マジョリティ”の方々もおられるわけです。
我々はこのサイレント・マジョリティの方々の評価ツールをまだ持ちません。
ネット社会百花繚乱である現在でも、です。
ネットですら、“声なき声”は拾えないのです。
サイレント・マジョリティの方々の脳みその中にあるわけですから。
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私は、このサイレント・マジョリティの方々の心の揺らぎになんとかアプローチ出来ないものか・・・と妄想しております。
“なんとなく、いい感じ”というものを作れないか・・・
何が必要なのでしょうか。
“ねがい”・・・でしょうかね~